tsugubooks

会社員が、週末本屋さん・tsugubooksをしてみたキロク。清澄白河と下北沢での本屋さん活動や、本の旅のことを。少しずつ整えていきます。

九州でしか買えない本があるらしい。

本が好きな人間として、「東京」は最高の場所だと思っていた。
『「東京」で手に入らない面白い本』なんて無いとさえ思っていた。

 

今日、ある本が定価の倍以上でAmazonに出ている、ひどい、本屋さんで買おうというツイートを見た。そのツイートはたくさんRTされていた。版元の方も、有名なひとり出版社の方も、RTされていた。
高値で売るのは良くないという出品者への批判であると同時に、こういう奴から買うなよAmazonで買うなよ本屋へ行けよという買い手への警告にも読めた。(被害妄想が強いだけかもしれませんが。苦笑)

こういうツイートを見る度に、昔の自分を、地方の本好きのことを、思う。

 

社会人になって初めの6年間を、九州の地方都市で過ごした。

AERAなどの週刊誌が入荷になるのは、水曜日の午前中。仕事が終わって急いで書店に駆け込みそのままスタバで読む。Twitterで感想をつぶやこうとする頃には、だいたい議論(炎上)は終わっていた。

東京出張帰りに新宿の大手書店に行くと、レジ前には有名作家の小説が高く高く積み上げられている。翌日、出張から戻って同じチェーン店に行くと、その本の入荷は「ごくわずか」で「すでに売り切れてしまった」という。

東京の人たちが「大手書店か、セレクト系本屋さんか」とか議論しているのをWeb上で見て「自分はセレクト系が好きだなー」「まちの本屋さん頑張れ!」と思いながらも、現実には近所のローカルチェーン書店が大手書店に看板を変えたことを喜んでいた。付録付きの本ではない、普通の本が、もっと入るようになるかもしれない。

  

7年目、東京へ戻ってきた。
欲しい本がある場合、昼休みに会社近くの駅ビル書店に行く。在庫が無ければ、夜、電車で10分の大手書店に行けば良い。
本との出会いを求めているときは、週末に下北沢B&Bへ行く。おもしろい普通の本があった。全国のリトルプレスも並んでいた。
東京では何でもすぐに手に入った。
やっぱり東京が中央なのだ、手に入らないものはないのだ、と思った。

このツイートをした人は、今のわたしなのかもしれない。
ちゃんと本が並ぶ書店のある街に住んでいる人なのだ。

知らないのかもしれない、本屋さんが無い町を。
知らないのかもしれない、本が入ってこない書店のことを。
知らないのかもしれない、本を注文したいというと「うちには入ってこないかもしれないし、ほら最近ではパソコンでも買えるんでしょ・・」と目をあわさず話す店主がいることを。

 

知っていたら、そういう言い方はしないはずだ。手に入れたいと願う人を傷つけるような言い方は、しない。そもそも、買い方を教えてあげるのが先ではないか。
版元は、Amazonへの通常出品もやっていた。高値出品を止めたいなら通常出品(在庫0)を補充すれば良いし、Amazonがイヤなら定価で通販している取引先を教えることもできるのではないか。アンチAmazon/アンチ出品者をRTすることで本が読み手に届くのか。

 

何か言わずにはいられなかった。

 

「読みたい」という気持ちにつけこんで、高値で売るのは良くない、というのはわかる。ツイートした人は、真面目な良い人なのだと思う。
ただ、買い手側にとっては「売り手がいる」という事実はありがたいことかもしれない。お金を払えば買えるという希望があるから。売り手がいなければ、手に入らない、読めない。

どちらが正しい?
その正しさを声高に叫んだところで、誰かが救われる?
そもそも全員にとっての正解なんてあるのだろうか?
答えが出ないことを考えて、もんもんとしていた。

さっきまで。

 

このツイートに対して、「わかります」とリプライをくださった方が、いる。
(tsugubooks名義では)フォローしはじめたばかりの伽鹿舎さん。

 

熊本の文藝出版社・伽鹿舎さんは、ツイートが面白くて、HPが文藝出版社とは思えない雰囲気で、本の装丁が格好良くて。気になっている出版社である。
が、HPの読み物をきちんとまだ読んでいなかったので、これを機に読んでみることにした。
   ▶︎伽鹿舎 HP  http://kaji-ka.jp/
 ▶︎伽鹿舎 出版社物語  http://m.kaji-ka.jp/category/daily/columns/publisher/kajika

 

せめて取り扱ってくれる書店には少しずつでも挨拶には行きたいし、並べてくださった本を確認にだって行きたい。だったら、主要メンバーの集まる熊本から、どうにか一万円以上を掛けずに日帰りできる範囲でなければ無理だ。単純に考えれば、九州の真ん中に位置している熊本からその円を描けば九州ということになる。
 だったら、九州にだけ卸せばいいのではないか。

九州限定の本である。ローカル雑誌なら聞く話だが、一般書籍でそんなことをやっているのはちょっと聞かない。スイーツがご当地限定で、キャラクターグッズがご当地限定なら、じゃあ本だってそうしたって良いんじゃないか。
 これは、思いついてしまえば実にいいアイデアのように思えた。何より面白い気がした。「片隅」からの逆襲である。たまには首都圏のひとびとに手に入らないと呆然とする体験をしてみてもらってもいい。首都圏コンプレックスと、言わば言え。「片隅」の我々は、首都圏でしか手に入らないものの為に死に物狂いでやりくりをして首都圏まで出掛けて行くのである。欲しいもののためなら、人はそのくらいのことはやる。そのくらいの情熱を持ってもらえるような、そんな本を作れたら最高じゃないか。

本屋さんは、売りたいものを売らせて貰えない。
 だとしたら、伽鹿の本だけでも、九州の本屋さんが売りたいだけ並べさせてあげられたなら、今までずっと本好きの我々を支えてくれた地元の本屋さんたちにだって、多少の恩返しにはなるに違いない。
 無論、それには伽鹿の本が、本屋さんが並べたい本である必要がある。

 

わくわく、いやぞくぞく、している。
これだ!!!と思った。

 

出版社は「情熱を持ってもらえるような本」を「並べたくなるような本」を、作る。取次に納品するために作る、のではなく。

「こういう本を買いたい」とお客さんが、未来の読者が、目の前で言っている。でも自分の店では注文しても入ってこないかもしれない。・・そんな状況の本屋さんでも、伽鹿舎の本なら「仕入れたい」と言えば仕入れられる。

九州の読者は、「読みたい!」と思ったら、行きつけの店に行く。そこには当たり前のように伽鹿舎の本が、欲しい本が、並んでいる。同じ頃、九州からしたら片隅の、東京の人たちは、読みたくて読みたくてたまらない本が、九州にしかないと知り呆然としている。(実はちゃんと伽鹿舎からの直販が可能であることも明示してあるけれども。)

 

 

そんなシーンを思い浮かべた。
それは愉快だ。

 

今、とてもわくわくざわざわしている。
今、とても愉快なのである。

 

片隅は、そこに立てば中心になる

 

たくさんの「片隅」を、「中心」を、これから見てみたい。

 

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余談だが、東京にきてしばらくすると、「すぐ」手に入れられないと我慢できなくなっていた。もはや病気。
今もAmazonプライム会員になっている。駅ビル書店にない本は、昼休みのうちにAmazonで注文すれば、夜には宅配ボックスに届く。
だから、初めて伽鹿舎の本を知ったときは、すごくもどかしかった。「次九州行ったときに買おう」って、いつ手に入るんだよ、と。
でもその時間を有効に使おうと、掲載作家さんのことを調べたり、気を紛らわせつつ楽しむことができることを今は知っている。
Amazonプライムの快適さとは違う、楽しみがある。

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