tsugubooks

会社員が、本をお届けする活動・tsugubooksをやってみたキロク。東京での間借り本屋活動や、全国の本を追っかける本屋旅のことを。少しずつ整えていきます。

口承記録。

ここ6年くらい、「キロク」というものに、とても興味がある。それから「場」「対話」にも。

 

キロクや場や対話について調べているときに、せんだいメディアテークを知った。
昨年、やっと行くことができた。そのときのメモ。

 

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民話を聴き、仲間と共有してきた小野和子さんのお話を聞くことができた。

 

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戦争中は読み物がなかった。もう少し豊かなものが子どものころにあったら、という気持ちがあった。

細々と影で語られてきた民話に心が向いたのだと思う。

 

大学では文字で残された文学については学んだけど、民話は学ばなかった。この文字のない文学のこと、その強さを、確かめたかった。

 

民話は神楽のように表立って披露されるものではなく、家の、家の内のもの。それを引っ張り出すということなんです。語る者にも聴く者にも、乗り越えなければいけない壁が、いくつもあるんです。

 

民話の中でも、絵本になっているものも、あります。でも、それは、表の話。その話を支える裏の話が、無数にある。

 

ここで、ひとつの民話のお話をされる。
種を二つに割って…というお話。
本になっているのは、表の話。浄土につながる、教訓めいたもの。
本になっていないもの、これは艶話(つやばなし)だった。 

 

書いていることしかみないと、表街道の話しかわからないんです。

影を探しながら、 そこに光をあてていく。そんな旅を続けてまいりました。

 

この話を聞いたときに、ぞわぞわっとした。
自分が<夜を灯す本のおはなし>を開いた動機、それから開催した会の内容を文字にできない迷い、が、まさにそこにあったからだ。

・病気を克服した人の話
・大切なもの/ひとを失くした人が立ち直る話
そういうものばかりではない、そのままの話が聞きたかった。もっと小さな、自分で書くだけだったら、表現しないような些細なこと、こぼれ落ちるようなことも。
聞いた話のうち、これはWEBにUPしないほうが良いなというものもあった。空気感とセットじゃないと伝わらないというか、文字だと強すぎるかもしれないから。

 

 

ずっと顔もあげずに、一生懸命書いていました、テープレコーダーを持っていなかったときのほうが、真剣勝負でいた気がします。

 

民話を聴いて記録するということは、誰でもできること。けれどもそれは、誰にもできないということかもしれない。

 

 

誰でもできる。
誰にもできない。
真剣勝負で聴く。

 

そういうことを、やっていきたい。

 

口で伝えてもらう場をつくること、
そこでたちのぼったものをキロクすること。
この両輪を、ともに学ぶ年にしたい。